門限という概念がすこし曖昧になってきた思春期後半、つまりは親に対して「バイトだから遅くなる」というカードを切れるようになった頃、帰り道に自転車を停めて、友達とたわいもない話をするのが好きだった。放課後の教室や学校近くのファーストフード店、バイト先の更衣室などの室内も悪くなかったが、私はとりわけ外が良かった。夏の夜に虫の声を聞きながら、街灯の明かりの下で大事な秘め事を話すかのようにバカ話をするのがたまらなかった。それは公園の遊具に体を預けながらの時もあったし、友達が「ばりうまい」とすすめてきたジュースが売ってある自動販売機の前の時もあった。どんな時でも、物言わないもう一人の友として必ず自転車がそばにあった。
しかしそこはお国柄、二輪のかわいい友達はよく人に盗まれた。クラスメイトの「好きな人できた」には「まじ!誰!いつから!」と寄ってたかって質問するくせに、「チャリパクられた」は「え、だる」で終わりだった。誰も「どこで?」と聞いて、要注意場所を把握しようとしなかった。みんなどこに置こうが一緒だと思っていたのである。当時ブログをまめに更新していた友達は、自転車を盗まれた日も前髪の分け目を変えたことしか書いていなかった。窃盗が前髪に負けるのもなかなかである。私も安い自転車を何台か乗り変えたが、いつか別れる日のことを無意識に考えていたのだろうか、どの自転車もそこそこの愛情しか注がなかった。
ある夜、例のごとく自動販売機の前でアロエジュースを飲みながらなっちゃんの「ストレートパーマ当てたろかな」に「いったれいったれ」と背中を押した後、自転車を漕いで一人で帰路についていた。すると前からパトロール中の警察官が来て、「すいません〜 盗難多いんでちょっと自転車見ていいですか〜」と声をかけられた。
私はなんの警戒心も持たずに「はい〜」と言って立ち止まったが、ふと「そういえばこれ、誰の自転車やっけ?」と思った。その時は自転車を盗まれた直後で、次の自転車を買うまでの間、オカンの知り合いのおっちゃんからもらってきたボロボロの自転車に乗っていた。
「防犯登録確認させてもらいますんで、お名前をお願いします」と言われ、私はそこでまずいことになっていると気がついた。「いや、加納なんですけど、これは登録のとは違って、」と焦りを見せた私を見て、警察官の目の色が変わった。悪を見逃すまいとする鋭い眼光は、さらに私から落ち着きを奪った。
「これは人からもらったやつですか?」
「あ、はいそうなんです」
「じゃあその人の名前をお願いします」
私は、もし万が一おっちゃんが盗んだ自転車を私にくれたのだとしたら、ここで名前をだすとおっちゃんが捕まってしまうと思った。いつも私には優しいおっちゃんだったが、よく昼から酔っ払っていたし、歯もけっこう抜けていて、「自転車盗んだことありそうっちゃありそう」に見えた。
「いや、えっと、名前はわからないんですが」
「名前がわからない?」
「は、はい……」
完全に答えに窮してしまった私は、気がつくと交番に連れて行かれていた。
警察官はさきほど声をかけてきた時とは別人のような低い声で「で、この自転車本当はどうしたの?」と詰め寄ってきた。私はおどおどしながら「親が人からもらったものなので、わからなくて……」と話した。一向に納得していない警察官は30分ほど粘った後に家に電話を入れ、10分後にオカンが迎えに来た。
オカンは着いてすぐに平然とおっちゃんの名前を伝えた。私は隣でびくびくしていたが、確認してもらうとちゃんとおっちゃんの名前で防犯登録されていた。警察官に「すいませんでした」と丁寧に頭を下げられ、私はようやく解放された。帰り道、おっちゃんを疑ったことに申し訳ない気持ちになったが、半分は「歯が抜けてるのが悪い」とも思っていた。オカンもぼそっと「あぶな」と言ったので、少しは疑っていたのかもしれない。
次の日に、この一連の事件をまあまあの熱量で友達に話したが、案の定「最悪やん」で終わった。どこまでいっても自転車トークにはドライな府民である。