中学生のころ、モナコというあだ名の同級生がいた。入学式を終えて教室に戻り、出席番号順の座席に座ったとき、彼女の椅子の背面に「モナコ」と大きく書かれていたからそうなった。
どうして中学生が椅子に「モナコ」と書き殴ったのか、私はいまだにわからない。やけに凝った絵とかいっそ単純に「バカ」とか、そういった落書きはいくらでも机上に見たことがある。けれど「苫小牧」とか「ブータン」などの地名や国名はあまり見かけない。おまけに椅子に。しかし何はともあれ、入学式から一週間もたたないうちに彼女はモナコと呼ばれるようになった。ごく当たり前のように。
小説を書いていると、自分では思いつかないような現実の小さな出来事を見聞きしたり思い出したりしては絶望している。敵わないと思う。同時にその敵わなさにうっとりする。宝物のように箱に入れてすべてとっておきたい、ずっと眺めていたいと思う。前置きが長くなってしまったけれど、今回紹介するのはそんな敵わなさが瞬く2冊です。
『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』(ポール・オースター編、柴田元幸他訳、新潮社)はラジオ番組のためにオースターが全米から実話を募集した、「普通」の人々の、ちょっと「普通ではない」話たち。白装束に仮面という出で立ちの白人至上主義団体の行進の中に、飼い主を見つけて陽気に飛びついてしまう犬。運転ではなく買い物を依頼され、こんな依頼をするのは自堕落な怠け者だろうとタクシードライバーが腹を立てながら客の家に品物を届けに行くと、戦争で両足を失った男に出迎えられる。それぞれの物語もさることながら、ささやかな、しかしおそらくはとっておきの話にペンを走らせ、封書を投函する人々の姿が浮かぶようで魅了される。
『東京の生活史』(岸政彦編、筑摩書房)は150人の語り手に150人の聞き手が話を聞き、1万字ずつにまとめたインタビュー集。こうした書評のページでは反則なのかもしれないが、私はまだこの本を読み終えていない。まだというか、全然。しかし一人分を読むだけで圧倒され、なかなか読み進められないのが当書。
ディテールに満ちた1万字の語りを追いながら、字数に到底収まりきらない語り手たちの生活を想像する。その想像が合っていることが決してないのは、それ以前に実在する一人の生活という果てのないものを想像しようとするのが傲慢だというのはわかっている。それでも私は彼らの声や好きなおでんの具、昔飼っていたペットを知ることもなく、東京にいるのに彼らと街ですれちがっても気づかないまま自分が死ぬことに、あるいは彼らが死んでしまっても知りようもないことに、「途方もなく他人」であることに改めて打ちのめされながら、他人のきらめきがあまりに自然に、音もなく炸裂し続ける当書を、少しずつ読み続けるだろう。
冒頭のモナコは今、デンマークで暮らしているらしい。モナコがデンマークへ。つくづく敵わないと思う。
紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは『空芯手帳』で第36回太宰治賞を受賞された小説家の八木詠美さんです。