加納 Aマッソ

第52回「今日久しぶりに10km走ってみいひん?」

 ここ何年も「趣味:友だちとジョギング」というプロフィールを携えてはいるが、その実オフシーズンが長かったりもする。いや、オフシーズンというよりもオフメンタルと言ったほうがいい。強制力がないことこそが、趣味が趣味たる所以だ。好きなペースでやるのが一番だからね。さらに、ふと「肉体を、前に、早く、運ぶ、これいかに」というそもそもの疑問を抱くことも増えた。足の裏の変な位置にマメができるのもうんざり。このように、気がつくと今までは気にならなかったところが目につくようになっている。そう、「自趣味全肯定期」つまり「ラブラブ期」は過ぎてしまった。
 というわけで、12〜2月は寒くてオフ、4月は花粉オフで、6月は梅雨オフ。7〜8月は暑くてオフで、9月もついでにオフ。なにかと理由をつけてのオフ三昧。一緒に走っている仲間も気ままな性格の人間が多いため、最近では「すいません晩ごはん食べ過ぎてしんどいのでキャンセルで」「ごめんいま起きた」「え、今日でしたっけ?」というやり取りばかり。私たちとジョギングの関係は分かりやすく冷え冷え、これ、完全に倦怠期。
 このままでは自然消滅してしまうのではないかと、自分勝手に一抹の寂しさを感じていていたところへ、運が良いのか悪いのか、一年でもっとも走りやすい気候の5月がきた。
 「あの楽しかった日々をもう一度!」とばかり、私は気持ちを切り替えて、みんなに「今日久しぶりに10km走ってみいひん?」と提案してみた。普段の5kmコースを2周。これは会話すらなくなったカップルのディズニーランドデートぐらい荒療治だ。ここ何カ月も4km地点で諦めて歩きだすのが続いていたので、予想通りみんなからは「え……5kmでもしんどいのに10km……」という反応が返ってきた。

「ほら、前はたまに10km走って達成感感じてたやん!」
「そうですけど……」
「10km走った時にしか得られへんかったあの感じ、思い出して!」
「そう言われても……明日に響きそうだし……」

 このような関係になるまで放っておいた私にも責任の一端はある。しかしもう後には引けない。

「いや、もちろん私もしんどいで? 10kmなんか走りたくないで? でもここで走らんのはな、違うと思うのよ」

 自分でも何を言っているのかわからなかったが、ここで引き下がればジョギングは過去のものになってしまう。粘った結果、後輩が一人だけ「それだけ言うなら行きます」と言ってくれた。

 いつもは数人と連れ立って走っていたが、この日はたった二人。走りだして2kmを過ぎたあたりで、後輩は全く喋らなくなった。あれ、ちょっとちょっと、倦怠期なのはあくまで私たちとジョギング間であって、私ときみではないよね? 私たちの関係はいたって良好よね? 走るのに集中しているのだろうと言い聞かせて、私も横で黙々と足を動かす。体もなまっていて、しんどい。もはや何が楽しいのかわからない。
 3kmを過ぎたあたりで、後輩は突然「あぁ!!しんどくてイライラする!!」と叫んで、とうとう走るのをやめた。私は驚いた。え、これはひょっとして、別れの言葉? うそ、こんな終わり方ってある? 「もうあんたなんか知らない!」って言って、扉をバタンって閉めて出て行った? 「い、いや、けっこうペース良かったよ?」私はうろたえて、なんとか残り2kmを機嫌をとりながら歩いてスタート地点に戻った。
 気まずい。苦しそうに水分を補給している後輩に「あと一周走るよね?」と言い出せない。10分ほどゆっくりとストレッチをしながら、横目で様子をうかがう。後輩はもう地面に座り込んでいる。私ももう走りたくない。完全に終わってしまったのかと思ったとき、じんわりと今までのいろんな思い出が蘇ってきた。
 急な雨に降られてびしょ濡れで笑いながら走った日、前を走る変態ランナーにおしりを見せられて逃げた日、車道からバイクに乗っているヤンキーに「頑張れえ〜い」と煽られ「お前がな」と呟いた日。
 やっぱり、ここでやめるわけにはいかない。意を決して私は走りだした。もう一人でもいい。今後は「趣味:一人でジョギング」に書き換えればいい。孤独と戦い、年を取っても走り続けるのだ。ごめんな、ジョギング。悲しい思いをさせて。これからはずっと一緒だからな。

 そのとき、頼りなく追いかけてくる足音が聞こえた。私は笑顔を抑えきれない。前を向いたまま、「終わったら好きなもの食べよ、何がいい?」と聞いた。後ろから、心底苦しそうな声で「今、なん、っでもいける」と聞こえた。焼肉、寿司、ラーメン、あ、ラーメン、いいですね、うどんは? うどんかぁ、あれ、ちょっとペースあがってない? たしかに! よし、2km地点通過、倦怠期通過〜!

関連書籍

加納 愛子

イルカも泳ぐわい。

筑摩書房

¥1,540

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入