眼の疲れは、コロナ禍で私が感じる不安のひとつだ。パソコンの画面を見つめる生活が続き、眼の焦点が合うまでに時間がかかるようになった。老眼であることは重々承知しているけれど、いつまで見たいものが見られるのだろうかと不安だ。ウイルスも怖いけれど、眼にかかる負荷も怖い。そう鬱々としている頃、本は聞くこともできることに思い至った。
ナレーターが書籍を朗読するコンテンツがある。もちろん、これまでにも朗読CDはあった。ただ、データによる配信が容易になった現在、タイトルのバリエーションが格段に広がっている。そのなかに、子どもの頃に夢中になったミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を見つけた。しかも朗読は、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジや『劇場版 呪術廻戦0』の乙骨憂太など、繊細で傷つきやすい少年キャラクターに息を吹き込んできた緒方恵美氏だ。ふたりの少年主人公、バスチアンとアトレーユはどんなふうに演じられるのだろう。すぐさまスマートフォンにダウンロードした。
物語は、孤独なバスチアンが『はてしない物語』と名づけられた本を手に入れることから始まる。彼は自分をいじめるクラスメイトを避け、授業をサボってこの本を読み耽る。本の中の世界は滅亡しようとしていた。世界を救う方法を探す使命を与えられたアトレーユは探索の旅に出るのだが、困難の連続が彼を待ち受けている。バスチアンはアトレーユの苦難を自分の事として受け止め、アトレーユの呼びかけに応じて本の世界に入り、旅に加わる。
主人公が彼の読んでいた本に入っていくこと、そして彼が入り込む本こそ自分が手にしている『はてしない物語』であること。徐々に明かされる仕掛けに、子どもの私は圧倒された。だが、この本に捉われた理由は他にもあった。
当時の私には寝床で本を読む悪癖があった。結果メガネを作る羽目になったのだが、自室のない私にとって、頭まで被った布団がつくる薄暗がりが、唯一のひとりきりの場所であった。身を隠してひとり本に耽溺するバスチアンは、私の姿でもあったのだ。
現在、大人になって久しい私は『はてしない物語』を耳で味わっている。主人公たちはかつて思い描いた輪郭を残しながらも、こちらの予測をはるかに超えた内実を携えて、友情と裏切りの旅を続けている。彼らが出会う、多種多様の想像上の生き物は、細部も克明に浮かびあがり、世界は奥行きをもって立ち現れる。今度私を圧倒するのは、デビューから30年間、一線を走ってきた声優の変幻自在のパフォーマンスだ。
緒方恵美氏の自伝『再生(仮)』には、声優として生きることの喜びと試練が綴られている。けっして平坦でない道のりからわかるのは、アニメをめぐる環境が変わり声優の仕事も変化するなかで、絶えず緒方氏がオーディエンスに向き合い、真摯にその期待に応えてきたことだ。事実、『はてしない物語』を語る声は、私を物語へと誘い没入させ、コロナ禍という現実の不安を払う。その声を聴くとき、私は安堵を感じている。