昨日、なに読んだ?

File94.不安を払いたいときに読む本
ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』/同(朗読・緒方恵美)/緒方恵美『再生(仮)』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは『アニメと声優のメディア史』の著者、石田美紀さんです。

 眼の疲れは、コロナ禍で私が感じる不安のひとつだ。パソコンの画面を見つめる生活が続き、眼の焦点が合うまでに時間がかかるようになった。老眼であることは重々承知しているけれど、いつまで見たいものが見られるのだろうかと不安だ。ウイルスも怖いけれど、眼にかかる負荷も怖い。そう鬱々としている頃、本は聞くこともできることに思い至った。

 ナレーターが書籍を朗読するコンテンツがある。もちろん、これまでにも朗読CDはあった。ただ、データによる配信が容易になった現在、タイトルのバリエーションが格段に広がっている。そのなかに、子どもの頃に夢中になったミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を見つけた。しかも朗読は、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジや『劇場版 呪術廻戦0』の乙骨憂太など、繊細で傷つきやすい少年キャラクターに息を吹き込んできた緒方恵美氏だ。ふたりの少年主人公、バスチアンとアトレーユはどんなふうに演じられるのだろう。すぐさまスマートフォンにダウンロードした。

 物語は、孤独なバスチアンが『はてしない物語』と名づけられた本を手に入れることから始まる。彼は自分をいじめるクラスメイトを避け、授業をサボってこの本を読み耽る。本の中の世界は滅亡しようとしていた。世界を救う方法を探す使命を与えられたアトレーユは探索の旅に出るのだが、困難の連続が彼を待ち受けている。バスチアンはアトレーユの苦難を自分の事として受け止め、アトレーユの呼びかけに応じて本の世界に入り、旅に加わる。

 主人公が彼の読んでいた本に入っていくこと、そして彼が入り込む本こそ自分が手にしている『はてしない物語』であること。徐々に明かされる仕掛けに、子どもの私は圧倒された。だが、この本に捉われた理由は他にもあった。

 当時の私には寝床で本を読む悪癖があった。結果メガネを作る羽目になったのだが、自室のない私にとって、頭まで被った布団がつくる薄暗がりが、唯一のひとりきりの場所であった。身を隠してひとり本に耽溺するバスチアンは、私の姿でもあったのだ。

 現在、大人になって久しい私は『はてしない物語』を耳で味わっている。主人公たちはかつて思い描いた輪郭を残しながらも、こちらの予測をはるかに超えた内実を携えて、友情と裏切りの旅を続けている。彼らが出会う、多種多様の想像上の生き物は、細部も克明に浮かびあがり、世界は奥行きをもって立ち現れる。今度私を圧倒するのは、デビューから30年間、一線を走ってきた声優の変幻自在のパフォーマンスだ。

 緒方恵美氏の自伝『再生(仮)』には、声優として生きることの喜びと試練が綴られている。けっして平坦でない道のりからわかるのは、アニメをめぐる環境が変わり声優の仕事も変化するなかで、絶えず緒方氏がオーディエンスに向き合い、真摯にその期待に応えてきたことだ。事実、『はてしない物語』を語る声は、私を物語へと誘い没入させ、コロナ禍という現実の不安を払う。その声を聴くとき、私は安堵を感じている。