
江戸時代に身近な存在だった猫と犬。浮世絵に登場する回数がもっとも多い動物たちだが、その扱われ方は大きく異なっている。浮世絵の猫たちは、ほとんどが家の中で暮らし、ペットとして大事に可愛がられている。実際には野良猫も多かったはずだが、不思議なことに浮世絵ではほとんど野良猫が登場しない。
一方、浮世絵の犬は大きく二つに分けられる。一つは舶来物も多かった高級な小型犬。身分の高い武家や裕福な町人の座敷で、綺麗な首輪を結ばれ、時には座布団に座らされるほど甘やかされているが、これらは犬ではなく「狆」と称する別の動物とみなされていた。
例えば鳥居清長の「十体画風俗 武家の娘と犬」(図1)。すらりとしたプロポーションの女性が立っている。菊の花の模様を散らした華やかな振袖姿であるところを見ると、由緒正しい家柄の武家の娘のようだ。手に持った紐の先には、黒い毛でふさふさとした小型犬が娘の裾を踏んでいる。
現在、狆と言えば、白地に黒か茶の斑模様が一般的だが、このような黒一色の小型犬も狆として認識されていたのだろう。裾を踏まれても気にしない、女性の優し気な眼差しを見ていると、ペットとして大事に可愛がられていることがうかがえる。
ちなみに、この娘の姿には、『源氏物語』に登場する光源氏の妻、女三の宮が重ねられている。飼っていた猫が部屋の外に飛び出した際、御簾の隙間から柏木(光源氏の親友の息子)に姿を垣間見られるという場面。浮世絵では、高貴な女三の宮を、猫や犬を連れた当世の女性たちに置き換える「やつし」の手法が好まれていた。背景の屏風に御簾が付いているのも、その図像のつながりを補強するためだろう。

ペットとしての狆に対し、もう一つの犬が、ごく普通の雑種犬である。こちらは屋外で群れをなしたり、夜道で集まって眠ったりなど、自由気ままな野良犬として描かれている。
歌川広景が描いた「江戸名所道外戯尽 壱 日本橋の朝市」(図2)を見てみよう。場所は街道の起点となる日本橋。橋のたもとには魚市場があり、早朝になると、魚を仕入れようとする魚売りたちでにぎわう。
そんな中、朝からお腹を空かした犬がいたようだ。白毛に黒ぶちの犬は、魚売りの隙を突いて、アコウダイらしき赤い魚をパクリ。体全身に彫物をした気性の荒い魚売りは、売り物を盗まれた怒りで、他の魚が地面に落ちるのもお構いなしに天秤棒を振り上げる。犬の方も叩きのめされてはたまらないと、必死に駆け出している。
江戸時代の犬は、特定の飼い主がおらず、町の中をうろつき、地域の住民たちから残った食べ物をもらうような暮らし方であった。時には人間たちと喧嘩をしながら、その日その日を懸命に生き抜かねばならなかったのであろう。